平和祈念展示資料館科(総務省委託)
東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階
入場無料
やさしいブラウザ
文字サイズ小中大
English

HOME > 所蔵資料紹介 > ポスター資料

ポスター資料

平和祈念展示資料館ポスターに掲載している資料について紹介しています。
ポスターの資料画像をクリックすると、それぞれの紹介文が表示されます。

平和祈念展示資料館ポスター おむつで作った子ども用ワンピース 収容日誌 引揚証明書 引揚者のリュックサック 寄せ書きの日の丸 手書きの歌謡曲集 ロシア製 のこぎり 木製食器 亀の甲羅で作った手製たばこ入れ 伝単 手製の麻雀牌 袖なしの防寒外套 ロシア製 斧 臨時召集令状(いわゆる赤紙) 引揚船内用食器 二重飯ごう 旗「長春市第四十五大隊」 引揚げ時の胸章 弾除け祈願のチョッキ 帰還者必携 軍隊手牒 防寒作業衣 俘虜用郵便葉書 手製の靴下 九二式野戦用有線電話

おむつで作った子ども用ワンピース [おむつでつくったこどもようわんぴーす]

満州(現・中国東北部)生まれで初めて日本に上陸する娘のために、亡くなった子どものおむつを使って母親が縫い上げた晴れ着です。

おむつで作った子ども用ワンピース

▲ TOP

収容日誌 [しゅうようにっし]

満州(現・中国東北部)牡丹江[ぼたんこう]省のカトリック教会の収容所における、昭和21(1946)年2月1日から11月30日までの記録です。記録から、乳幼児の死亡率が高かったことが分かります。

収容日誌

▲ TOP

引揚証明書 [ひきあげしょうめいしょ]

終戦時に海外に居た日本人が、終戦に伴い日本に引揚げてきたことを証明する書類です。引揚げ前の職業や軍隊での階級、引揚年月日、引揚げ前に居た地名や引揚げ後の居住地の他、本籍地や上陸した港、支給された金品などが記載されています。

引揚証明書

▲ TOP

引揚者のリュックサック [ひきあげしゃのりゅっくさっく]

多くの母親が、大きなリュックサックを背負い、大きな荷物を持ちながら、子どもを連れて祖国日本を目指しました。このリュックサックには、乾燥米などの食料や衣服をできる限り詰めました。

引揚者のリュックサック

▲ TOP

寄せ書きの日の丸 [よせがきのひのまる]

出征する男子には、寄せ書きの日の丸が贈られました。「武運長久」とは、武運が久しく続くことの意味で、主に出征者に対して渡された「日の丸」や「千人針」などに書かれました。

寄せ書きの日の丸

▲ TOP

手書きの歌謡曲集 [てがきのかようきょくしゅう]

当時、満州(現・中国東北部)の野戦病院で勤務していた看護婦が、連行され収容所内の診療所で働いている時に、顔見知りの日本人衛生兵からもらった手製の歌謡集です。抑留中の昭和20(1945)年から昭和21(1946)年頃のものです。

手書きの歌謡曲集

▲ TOP

ロシア製 のこぎり [ろしあせい のこぎり]

抑留者は、このような斧やのこぎりなどを使って伐採作業に従事しました。伐採は、ソ連(現・ロシア)によるシベリア抑留者に課せられた強制労働のひとつです。多くの帰還者が特につらかった作業として挙げるのが伐採でした。

ロシア製 のこぎり

▲ TOP

木製食器 [もくせいしょっき]

シベリア抑留中に白樺の木を削って作った手づくりのフォーク、スプーン、ナイフです。故郷での食事を思いながら作りました。

木製食器

▲ TOP

亀の甲羅で作った手製たばこ入れ [かめのこうらでつくったてせいたばこいれ]

昭和21(1946)年8月に、ウクライナ地区の草原で捕まえた岡亀の甲羅で作製された手製のたばこ入れです。たばこは「マホルカ」と呼ばれ、茎と葉が混在し、刻み方も荒い粗製の安価な刻みたばこでした。シベリアに抑留された人々には数少ない貴重な嗜好品でした。

亀の甲羅で作った手製たばこ入れ

▲ TOP

伝単 [でんたん]

伝単とは、宣伝のビラのことです。これは、昭和19(1944)年頃に連合国軍の飛行機から投下されたもので、戦争による物価の高騰について書かれています。

伝単

▲ TOP

手製の麻雀牌 [てせいのまーじゃんぱい]

抑留生活が長期におよび労働にも慣れてくると、夜間の自由時間に木片を削って、草や赤チンで着色した麻雀牌を作りました。

手製の麻雀牌

▲ TOP

袖なしの防寒外套 [そでなしのぼうかんがいとう]

シベリアの冬は零下30~40度になります。この外套の持ち主は、飢えに耐えかね、現地の労働者が持っていたパンと外套の袖を交換しました。

袖なしの防寒外套

▲ TOP

ロシア製 斧 [ろしあせい おの]

抑留者は、このような斧やのこぎりなどを使って伐採作業に従事しました。伐採は、ソ連(現・ロシア)によるシベリア抑留者に課せられた強制労働のひとつです。多くの帰還者が特につらかった作業として挙げるのが伐採でした。

ロシア製 斧

▲ TOP

臨時召集令状(いわゆる赤紙) [りんじしょうしゅうれいじょう(いわゆるあかがみ)]

臨時召集令状は、その色から「赤紙」と呼ばれていました。戦争で多くの兵士が必要になったとき、多くの男性を集めるための命令書でした。

臨時召集令状(いわゆる赤紙)

▲ TOP

引揚船内用食器 [ひきあげせんないようしょっき]

昭和21(1946)年3月、台湾の高雄港で、引揚船に乗り込んだ際に支給されたアルミニウム製の食器です。

引揚船内用食器

▲ TOP

二重飯ごう [にじゅうはんごう]

飯ごうとは、合金製で底を深く作った炊飯兼用の弁当箱のことです。外ごうの中に内ごうが収納されており、飯と汁を同時に作ることができる便利なものでした。

二重飯ごう

▲ TOP

旗「長春市第四十五大隊」 [はた「ちょうしゅんしだいよんじゅうごだいたい」]

昭和21(1946)年、長春(旧新京)市からの引揚げ時に、在留邦人1500人で組織した第45大隊の旗です。引揚船が出港する葫蘆[コロ]島を目指して南下しました。

旗「長春市第四十五大隊」

▲ TOP

引揚げ時の胸章 [ひきあげじのきょうしょう]

引揚げ時に孤児となった少年の胸に付いていた名札です。引揚げにあたっては、氏名や行き先などを書いた札を胸などに付けました。

引揚げ時の胸章

▲ TOP

弾除け祈願のチョッキ [たまよけきがんのちょっき]

このチョッキは綿でできており、水で濡らすと切れにくくなるという昔の知恵から作られました。これには、武運長久を願う千人針が縫いこまれています。

弾除け祈願のチョッキ

▲ TOP

帰還者必携 [きかんしゃひっけい]

文部省が発行した小冊子。「新しい出発へ」の副題をつけ、復員者や帰還者のために、戦後新たに成立した法律や制度を解説しています。

帰還者必携

▲ TOP

軍隊手牒 [ぐんたいてちょう]

軍隊手牒とは、下士官、兵の身分証明書、あるいは経歴書となるポケットサイズの手帳で、入隊から除隊まで常に携帯していました。氏名、生年月日の他、異動や昇進などが書き込まれるため、軍隊手牒を見れば、兵士の経歴が分かるようになっていました。

軍隊手牒

▲ TOP

防寒作業衣 [ぼうかんさぎょうい]

昭和23(1948)年にバルハシ収容所で支給されたものです。帰国が決まると、着用していた作業服をこのように状態が良いものに交換してくれました。

防寒作業衣

▲ TOP

俘虜用郵便葉書 [ふりょようゆうびんはがき]

抑留者は、赤十字社などを通じて家族や知人と葉書をやり取りすることができました。ソ連(現・ロシア)側の検閲があり、最初の頃は全てカタカナで書かされました。ウラジオストック中央郵便局に集められた葉書は、日本に届くまでに数ヶ月かかることもありました。

俘虜用郵便葉書

▲ TOP

手製の靴下 [てせいのくつした]

ソ連(現・ロシア)支給の布で作った手製の靴下です。糸は布をほぐしたもので、自作の針を使っています。周りの目を盗んで手に入れた物資などを使って、多くの抑留者が生きていくための道具を作りました。

手製の靴下

▲ TOP

九二式野戦用有線電話 [きゅうにしきやせんようゆうせんでんわ]

戦場において味方同士の連絡に使われていた有線の電話機です。日本軍の電話通信の主力機である九二式野戦用有線電話機の有線距離は標準40キロ程度でした。九二式とは昭和7(1932)年が皇紀2592年であったことからきたもので、同年に採用されたことを示しています。

九二式野戦用有線電話

▲ TOP

page top
JASRAC

JASRAC許諾
第J170222996号

Copyright © 平和祈念展示資料館 All Rights Reserved.

総務省サイトポリシー・プライバシーポリシーリンク集サイトマップ