平和祈念展示資料館科(総務省委託)
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企画展「従軍カメラマン小柳次一のふたつの眼」

企画展「従軍カメラマン小柳次一のふたつの眼」

この企画展では、昭和13(1938)年から終戦までの長期にわたって、陸軍嘱託の従軍カメラマンとして活躍した小柳次一について、写真だけでなく、小柳という人物に焦点を当て、その人となりを紹介しました。
期間:平成30年6月5日(火)~9月2日(日)
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日時不明

日時不明

看板の内容から見て、上海日本租界のゴルフ場で撮影されたと思われる組写真。上海海軍特別陸戦隊員が小銃を構える一連の動作が写っているが、実際には、宣伝用にやらせ写真を撮影する場面であったことが、右下の4枚目の写真から分かる。この写真では、陸戦隊員ではなくカメラマンにピントが合っており、小柳がカメラマンをわざと構図に入れたことがうかがえる。

日時不明
昭和13年夏頃

昭和13年夏頃

上海共同租界で撮影された、ジャーナリストの鄒韜奮が編集した抗日運動を呼びかける雑誌『抗戦』を法幣※で売る中国人。こうした抗日運動や国民政府を支持する中国民衆の姿は、到底日本側の宣伝に使える内容ではない。小柳が個人的な記録として撮影したものか。
※蔣介石率いる国民政府が発行した統一通貨。

昭和13年夏頃
昭和15年1月24~26日

昭和15年1月24~26日

青島会議※の際に撮影された中国の要人たち。小柳は報道カメラマンとして、最前線だけでなく、政治的に重要な場面の撮影も行った。右端が汪兆銘(精衛)で、この2か月後に樹立した南京国民政府で首班となった。右から2人目は臨時政府の王克敏、4人目は維新政府の梁鴻志。いずれも日本軍によって擁立された人物。
※蒋介石の国民政府に対抗するための新中央政権として、南京国民政府(汪兆銘政権)を樹立することを目的に開催された会議。この場で、北京の臨時政府と南京の維新政府を発展解消することも決定された。

昭和15年1月24~26日
昭和17年3月

昭和17年3月

フィリピンのコレヒドール島のアメリカ軍要塞への爆撃に同行した際、日本軍が爆破したB-10爆撃機の前でポーズを取る小柳。この服装は宣伝班の制服で、首から下げているカメラはバルナック・ライカのDⅢ型もしくはⅢa型、レンズはSummar 5cm f2(沈胴)。

昭和17年3月
昭和17年3~4月

昭和17年3~4月

フィリピンのバターン半島南端の標高1,300メートルを超すマリベレス山に進軍する日本兵。山中に立てこもったアメリカ軍を攻撃するため、つづら折りの道を歩いて山を登っている。日本軍は猛暑の中、大変な行軍を強いられた。

昭和17年3~4月
昭和17年3月31日~4月1日か

昭和17年3月31日~4月1日か

フィリピンのバターン半島のジャングルで、敵軍に向けて降伏を促す放送を流すため、拡声器を設置する宣伝班。宣伝班の任務は比較的安全と思われがちだが、こうした放送の際には攻撃を受けやすく、危険なものであった。小柳の従軍日記や、同じ班にいた火野葦平の小説『兵隊の地図』によれば、小柳や火野の周囲まで銃弾が飛んで来たという。

昭和17年3月31日~4月1日か
昭和17年

昭和17年

フィリピンの墓地で撮影。右から、作家の火野葦平、画家の向井潤吉、作曲家の古関裕而。小柳・火野・向井が同じ宣伝班に所属していた7月以前か。古関は当時南方慰問団の派遣員で、昭和17年にフィリピンでロケハンが行われ、19年に製作された国策映画『あの旗を撃て』の主題歌の作曲を手がけている。

昭和17年
昭和19年夏頃

昭和19年夏頃

桂林・柳州付近の非常に険しい岩山を登って進軍する大陸挺進隊※。敵の背後に回るために道なき道を進んでいる場面と推察される。小柳は当時37歳で、この時代の感覚では体力的に軍隊生活についていけなくなるとされた年齢であったが、重い荷物を背負い同行取材を続けた。
※日本のスパイ養成機関である陸軍中野学校の出身者が指揮した、中国兵の格好をして敵の後方攪乱を行う特殊部隊。

昭和19年夏頃
昭和20年5月24日か

昭和20年5月24日か

出撃直前の義烈空挺隊員※たち。重爆撃機の機内にまで入るあたり、最期の瞬間まで一枚でも多くの記録を残そうとする、小柳の強い使命感が感じられる。
※熊本県の健軍飛行場から旧式の九七式重爆撃機で出撃し、アメリカ軍に占領された沖縄県読谷の北飛行場と嘉手納の中飛行場に強行着陸して、破壊工作を行うことを目的とした特攻隊。

昭和20年5月24日か
昭和20年6~7月

昭和20年6~7月

戦争末期に開催された講演会の式次第。陸軍の報道部は写真だけでなく、長期の従軍経験を持つ小柳本人に、宣伝材料としての価値を見いだすようになり、涙ながらに多くの特攻隊を見送った小柳に、「神鷲※に続け」と題した講演までさせた。
※特攻隊員のこと。

昭和20年6~7月
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