平和祈念展示資料館科(総務省委託)
東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階
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企画展「凍土に眠る戦友への想い -絵画に見るシベリア抑留-」

企画展「凍土に眠る戦友への想い -絵画に見るシベリア抑留-」

この企画展では、抑留中の"戦友"の姿が描かれた絵画作品と、戦友同士の関わりが分かる実物資料を通して、抑留体験者が帰国後も抱き続けた亡き戦友への想いを紹介しました。
会期:平成28年6月28日(火)~平成28年9月25日(日)
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戦いは終って

戦いは終って 小澤耕一郎

日本へ帰還できると思って命令通り列車に乗った。何日かしてバイカル湖まで来ると、日本海だと思い兵士たちは大喜びした。海と間違うほど、バイカル湖は広大だった。そこで降ろされ、連行された。12月だというのに、夏服のままだった。寒さと飢えで戦友は次々と倒れていったが、凍土のため遺体を埋葬することもできなかった。

戦いは終って
戦友のうわごと

戦友のうわごと 佐藤清

食べ物を口にしなくなり、目がだんだんと虚ろになって、精気を失い、とりとめのない話を始め出すと、かたわらの戦友たちは、あとしばらくだとささやき合う。自分の生まれ故郷のこと、肉親のこと、幼友だちのこと、食べ物の話など、どれをとってもつながりのない話なのだが、強烈に聞く者の胸を打つのであった。

戦友のうわごと
お通夜

お通夜 佐藤清

死んだ戦友の霊を慰めるために、僧侶出身の兵士を呼んで、お経をあげてもらった。白樺の皮をさいて線香代わりにし、供物には黒パンの切れ端を捧げた。白樺の線香は、黒煙がもうもうと立ち、人魂のような油煙が舞い上がり、居並ぶ戦友たちの肩に降りかかった。恨みをのんで死んでいった戦友たちの魂は、いまなお異郷の地に、安らぐことなく、漂泊しているのであろうか。

お通夜
焚火

焚火 佐藤清

少しでも深く戦友の亡骸を埋葬するため、焚き火をする。赤い炎よ、せめて魂だけは故国に帰らしめよ。

焚火
埋葬

埋葬 佐藤清

零下40度の日が続いた。希望のない抑留生活に疲れ、栄養失調で眠るがごとく死んでいく命のはかなさ。凍土の丘や林に穴を掘って埋葬する。昨日は生きていた人間が、今日は一物体として取り扱われ、どうしようもない悲しみ。明日は吾が身。

埋葬
死骸を運ぶ

死骸を運ぶ 田中武一郎

馬車に死骸を乗せ、長い時間をかけて、墓地へと運ぶ。

死骸を運ぶ
墓地

墓地 田中武一郎

死骸は、コトンと音がして穴に落ちていった。

墓地
凍土を掘る

凍土を掘る 川口光治

つるはしとスコップで凍土を掘り、戦友の遺体を埋葬する。埋葬場所には、木札の墓標が建てられた。

凍土を掘る
埋葬

埋葬 早田貫一

最初の冬がひどかった。毎日死人が出た。栄養失調と発疹チフス、下痢が主な死因だった。一日の作業が終わったあと、それを近くの原っぱに運んだ。凍土のため、埋葬もできなかった。

埋葬
飢えの果

飢えの果 関豊

飢餓は慢性的になっていて、口に入るものは何でも食べた。時には路傍の空きカンを奪い合って、大の男が組み合う姿も見られた。

飢えの果
怨念 今日もまた逝く兵

怨念 今日もまた逝く兵 上河邉長

わずかな食事に加え、虱だらけの服装では、いくら健康兵でも体力は急激に衰えてしまう。声も出せず、誰にも看取られずに息を引き取っていった。

怨念 今日もまた逝く兵
怨念 屍捨て

怨念 屍捨て 上河邉長

戦友は裸で井桁に積まれ、長くて深い凍った壕に捨てられた。

怨念 屍捨て
戦友を凍土に葬る

戦友を凍土に葬る 斎藤邦雄

食糧不足と環境の激変で、いったん体調を崩すと、回復はもう不可能に近かった。びっくりするほど軽い戦友の遺体を、日本の方へ向けて静かに横たえた。お経もなければ一緒に埋葬するものもない。わびしい野辺の送りであった。

戦友を凍土に葬る
凍土の記憶

凍土の記憶 竹田一夫

戦友たちは、赤痢・チフス・疫病などを患い倒れていった。髪が抜けた我が姿。黄疸症状に犯された戦友たち。病院の庭には死体が並び、その死体を大八車で次々と運んで、森へ埋める。それが繰り返される収容所。生きていることさえ不思議だった。生命が維持できるという事実が嘘のようだった。

凍土の記憶
黒パンのかけら

黒パンのかけら 丸山國武氏提供

ナホトカの病院に勤務していた時、支給された黒パンのかけら。この黒パンを食べられずに亡くなった多くの戦友のことを想い、復員する際に隠して持ち帰った。

黒パンのかけら
住所録

住所録 島田要吾氏提供

使役先で手に入れたセメント袋で作成した住所録。戦友の住所や名前が記されている。

住所録
書簡

書簡 水野治信氏提供

抑留中に死を看取った戦友の家族へ手紙を送ったところ、父親から届いた返信の書簡。息子の最期を知らせてくれたことへのお礼や、息子を供養する気持ちなどが記されている。
日付:昭和22(1947)年12月25日

書簡
写真

写真 渡邊康之氏提供

「今、復員した」と、カラガンダの同じ収容所にいた戦友から連絡が入り、出迎えに行った品川駅で撮影した写真。先に帰国を果たしていたため、1年振りの再会となった。
撮影:昭和24(1949)年10月5日

写真
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