平和祈念展示資料館科(総務省委託)
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企画展『酷寒の地を描く 早田貫一抑留絵画展』

企画展『酷寒の地を描く 早田貫一抑留絵画展』

抑留を体験した早田氏の絵画を通じて、シベリアなどの酷寒の地において、乏しい食料と劣悪な生活環境の中、過酷な労働に従事させられた「戦後強制抑留者」の方々の労苦を紹介しました。
会期:平成26年6月24日(火)~平成26年9月21日(日)
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シベリアへ

シベリアへ [しべりあへ] (前期のみ展示)

中間集結地で、全く顔もしらない兵隊が千人単位で大隊を編成させられ、持てる限り多くの食糧、衣料を担がされて徒歩で出発した。傷を負い歩けなくなった軍馬の悲しげな鳴き声が、いつまでも耳の奥に残った。

シベリアへ
交換

交換 [こうかん] (前期のみ展示)

抑留者たちを乗せた列車が止まると、ロシア人の女性たちがゆでたジャガイモを持って集まってきた。飯ごうに時計や万年筆、布切れなどを入れて吊り下げると、それに見合ったジャガイモを入れてくれた。品物だけ取ってしまうということはなかった。しかし、大概の抑留者たちは、時計も万年筆もとっくに警備兵に取られていた。

交換
鉄道建設

鉄道建設 [てつどうけんせつ] (前期のみ展示)

シベリアの夏はひどく暑く、抑留者たちは毎日「第二シベリア鉄道」建設のトロッコを押していた。多くの抑留者たちが労働に従事させられた第二シベリア鉄道(バム鉄道)は、ソフガワニからタイシェットを結んだ。

鉄道建設
吹雪のなか労働へ向かう

吹雪のなか労働へ向かう [ふぶきのなかろうどうへむかう] (前期のみ展示)

零下30℃を上回れば、野外作業に出た。それは、空腹の抑留者たちにとって想像を絶する寒さだった。

吹雪のなか労働へ向かう
死体運搬

死体運搬 [したいうんぱん] (前期のみ展示)

最初の冬がひどかった。毎日死人がでた。栄養失調と発疹チフス、下痢が主な死因だった。一日の作業が終わったあと、それを近くの原っぱに運んだ。凍土のため、埋葬もできなかった。

死体運搬
シベリア風景

シベリア風景 [しべりあふうけい] (前期のみ展示)

遠くに収容所の監視台と塀が描かれている。この門は早田氏の作品に繰り返し描かれるモチーフである。

シベリア風景
シベリアへ

シベリアへ [しべりあへ] (後期のみ展示)

中間集結地で、全く顔もしらない兵隊が千人単位で大隊を編成させられ、持てる限り多くの食糧、衣料を担がされて徒歩で出発した。この時点では皆、朝鮮の港から船で帰国すると信じていた。何日も歩いて国境を越えた。そこは「ソ連」だった。

シベリアへ
冬の伐採作業

冬の伐採作業 [ふゆのばっさいさぎょう] (後期のみ展示)

伐採した丸太は小枝を切り落とし、三人一組で運搬した。ノルマを果たさなければ、支給される食糧はますます減らされる。栄養失調の体に、酷寒の中での森林伐採は重労働であった。

冬の伐採作業
収容所は整備された

収容所は整備された [しゅうようじょはせいびされた] (後期のみ展示)

収容所は場所によってかなり違いがあったが、一般的には、大きな営舎が何棟か建っていて、ほかに管理棟があり、これら全てが木の塀に囲まれていた。塀の内側と外側に有刺鉄線が張りめぐらされ、四隅に監視塔があった。

収容所は整備された
左手を失った戦友の肖像画

左手を失った戦友の肖像画 [ひだりてをうしなったせんゆうのしょうぞうが] (後期のみ展示)

冬は凍傷で手足を切断せねばならぬ者も出た。飢餓と寒さでこの世の地獄が出現した。ただし、別の意味では日本の軍隊よりも天国であった。上級者が下級者をなぐることがなくなったからである。少なくとも民主運動が起こるまでは・・・。

左手を失った戦友の肖像画
シベリアの天使

シベリアの天使 [しべりあのてんし] (後期のみ展示)

シベリアで出会った女性たちは皆、とても優しかった。日本人の抑留者であることを理由に、人種差別を受けたことはほとんどなかった。きれい好きで家庭的な女性が多かった。

シベリアの天使
アムール河の帆船

アムール河の帆船 [あむーるがわのはんせん] (後期のみ展示)

アムール河の船着場に、夜となく昼となく荷降しに動員された。主に大きな樽に酢漬けの胡瓜などが入っており、とても危険な作業だった。
しかし、アムール河に帆船が着く光景はとても美しかったと早田氏は証言している。

アムール河の帆船
抑留中に結成した「イゝ玉劇団」の団旗

抑留中に結成した「イゝ玉劇団」の団旗 [よくりゅうちゅうにけっせいしたいいたまげきだんのだんき] 井頭利次氏提供 (通期展示)

ウズベキスタンのフェルガナ収容所に抑留されていたときに、有志約10名で結成した劇団の団旗。赤はマーキロクロム液、黄色はマラリアの薬キニーネ、黒は鍋ずみ等を使用した。楽器や小道具など、劇団に必要なものはさまざまな工夫を凝らして自分たちで作った。

抑留中に結成した「イゝ玉劇団」の団旗
防寒頭巾

防寒頭巾 [ぼうかんずきん] 杉田晴士氏提供 (通期展示)

昭和20(1945)年8月8日、奉天(現・瀋陽)で現地召集を受けた際に支給された防寒頭巾。抑留されてからも着用し、昭和23(1948)年6月に復員する際に、外套の裏に隠して持ち帰った。

防寒頭巾
洗面器

洗面器 [せんめんき] 石黒美津子氏提供 (通期展示)

洗面器としてだけでなく、食器としても使われ、この中にカーシャ(おかゆ)が配給された。手作りスプーンとともに、大切な持ち物であった。

洗面器
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