平和祈念展示資料館科(総務省委託)
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語り部お話し会

西崎信夫(にしざきのぶお)さん

西崎信夫(にしざきのぶお)

「駆逐艦 雪風とともに見たもの」

  • 4月29日(日・祝)  14:00~(約60分)

15歳で海軍特別少年兵に志願。
駆逐艦雪風の乗組員として、戦艦大和の沈没を目撃し、
自らも負傷しながら生存者らの救出に当たった体験を語ります。

■■プロフィール■■

昭和2(1927)年1月、三重県生まれ。
昭和17(1942)年9月、海軍特別年少兵の第1期生として、広島県の大竹海兵団に入団。
昭和18(1943)年9月、横須賀の海軍水雷学校に入校し、繰上げ卒業。
11月、呉軍港にいた駆逐艦雪風の魚雷発射管射手として配属される。
昭和19(1944)年、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参加。
昭和20(1945)年、沖縄水上特攻では、戦艦大和の護衛として従う。
大和が沈没する中、生存者らを救助する。
終戦後、引揚船として使われた雪風に再び乗務し、海外引揚業務に従事する。
昭和22(1947)年10月、復員。

手塚元彦(てづかもとひこ)さん

手塚元彦(てづかもとひこ)

「奉天から幼い妹2人と引揚げ」

  • 4月30日(月・振休)  14:00~(約60分)

父はシベリアへ抑留され、母は病死。
13歳の少年は満州(現・中国東北部)から妹2人を連れて日本へ引き揚げました。

■■プロフィール■■

昭和8(1933)年9月、満州(現・中国東北部)・奉天(現・瀋陽)生まれ。
昭和20(1945)年8月15日、奉天で終戦を知る。
9月、父親がソ連軍によりシベリアに抑留され、翌年栄養失調で亡くなる。
昭和21(1946)年6月、母親が奉天で病死する。その後、兄妹で孤児院に入る。
年長者だったため、孤児院で亡くなった子どもたちの遺体運びなどをする。
9月、妹2人を連れて、葫蘆島から長崎県の佐世保港に引揚げ。

鈴木忠典(すずきただのり)さん

鈴木忠典(すずきただのり)さん

「志願して海軍へ-魚雷艇で戦って-」

  • 5月3日(木・祝)  14:00~(約60分)

14歳で海軍に志願した少年は、魚雷艇での出撃、
潜水艦で硫黄島や沖縄への物資輸送などの任務に携わりました。

■■プロフィール■■

昭和3(1928)年11月、秋田県生まれ。
昭和18(1943)年、14歳で志願し、海軍横須賀海兵団に入団。
水雷学校の訓練科、更に特別訓練科で魚雷艇の操作を学ぶ。
昭和19(1944)年2月、インドネシア中部のセレベス(セラウェシ)島、メナド海軍基地に配属される。
ソロモン諸島などに来襲するアメリカ艦隊に対し、魚雷艇で出撃を繰り返す。
その後、潜水艦乗務員として、硫黄島への物資輸送を行い、ついで、台湾から沖縄への物資輸送の任に就く。
昭和20(1945)年9月、台湾沖洋上で米軍艦により武装解除され、沖縄の収容所へ。
昭和21(1946)年3月、沖縄から長崎県の佐世保港に復員。

田中信子(たなかのぶこ)さん

田中信子(たなかのぶこ) さん

「7歳の少女が見た満州からの引揚げ」

  • 5月4日(金・祝)  14:00~(約60分)

新潟から満州(現・中国東北部)へ渡った開拓団で生まれた少女の
幸せな生活は、敗戦とともに一変します。
母を失い、祖父に連れられて引き揚げた苦難の道程を語ります。

■■プロフィール■■

昭和14(1939)年3月、満州(現・中国東北部)・黒龍江省生まれ。
新潟県から満州に渡った開拓団で、最初の子どもとして生まれる。
昭和20(1945)年8月、開拓村で終戦を知る。
10月、匪賊に襲われ母を失い、自身も肩を負傷する。
その後、祖父ら家族5人でハルビンまで徒歩で逃避行。
ハルビンから列車で満州を南下。
昭和21(1946)年、葫蘆島から京都府の舞鶴港に引揚げ。

上野辰熊(うえのたつくま)さん

上野辰熊(うえのたつくま)さん

「陸軍飛行兵となって」

  • 5月5日(土・祝)  14:00~(約60分)

16歳で少年飛行兵として訓練を受け、鹿児島県の万世飛行場で沖縄航空作戦に加わり、 出撃を待つ間に沖縄戦が終結、出撃せずに終戦を迎えた
元少年飛行兵の体験談です。

■■プロフィール■■

昭和3(1928)年3月、山口県生まれ。
昭和18(1943)年10月、陸軍少年飛行兵として大刀洗陸軍飛行学校に入校。
陸軍生徒として基礎訓練を受ける。
昭和19(1944)年4月、飛行兵採用、同校京城教育隊へ配属。
九五式中練(赤トンボ)に よる飛行訓練を受け、操縦技術を習得。
8月、平壌(現・ピョンヤン)で九九式襲撃機の搭乗員となり、
助教要員として訓練や特攻機の受領輸送などに従事する。
昭和20(1945)年5月、鹿児島県の万世飛行場で沖縄航空作戦中の飛行第66戦隊に転属、
出撃待機するが、沖縄戦が終結したため、大刀洗北飛行場へ転進。
終戦後、部隊は解散し、山口県の叔父の家で生活を送る。

福岡澄子(ふくおかすみこ)さん

福岡澄子(ふくおかすみこ)さん

「パリ、ベルリン、奉天での避難生活」

  • 5月6日(日)  14:00~(約60分)

貿易商に勤める父の転勤で、パリへ渡った4歳の少女。
第二次世界大戦の中、一家はパリからベルリンへ逃避、
その後モスクワを経由してシベリア鉄道で満州へ向かいます。

■■プロフィール■■

昭和11(1936)年4月、満州(現・中国東北部)・大連生まれ。
昭和14(1939)年5月、貿易商社に勤める父の転勤先パリに移る。
昭和19(1944)年8月、連合国軍の攻勢に伴い、パリからベルリンへと逃避。
昭和20(1945)年5月、ソ連軍の護衛により、ベルリンからモスクワへ。
さらに、シベリア鉄道で満州へ向かう。
奉天(現・瀋陽)で避難生活を送り、そこで終戦を知る。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から山口県の仙崎港に引揚げ。

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